私にも周りの評価を気にしすぎていたことが

知らず知らずにあった時もありました。

 

評価がすべてで育てられてきたせいか

その癖がまだ抜けずにいて

昔は私も評価が気になり、人の目が気になり

本来の自分でいられなかったり

やりたいことができなかったり

肩身の狭い

 

そんな時もありました。

 

ただ、やはり評価を気にする自分は

苦しくて、あのときは

何事も義務感だけで行動していたのかもしれない

 

その他人が作りあげた『わたし』というペルソナを

脱ぎ捨てることができたとき

 

新しい『わたし』に移行できたとき 

いや、本来の『わたし』に戻れたとき

 

不安も恐れもあったけど

すぐさま『快感』へと変わっていった。

 

本来の『わたし』

素の『わたし』

 

自分の求めている生き方をしても良いんだ!

 

と気づいた時の開放感

 

周りからの評価を捨てて

 

自分の人生の舞台に立てたようにさえ思えた

 

人に求められるまま『わたし』が『わたし』を

つくりあげていたんだと

 

苦しいはずだよ。笑

 

今はまったく、そうした義務感もなければ

 

息苦しさもない

 

だから、今の私の生き方、

自分の人生の舞台に立つという

自立や責任も伴う

 

だけれど

もう『ペルソナ』を被る生き方は

選びたくないと思った

 

『わたし』は『わたし』で生きたいと

誰からも評価されない『わたし』でいたいと

だから、迷わずその『わたし』を選ぶ

 

いつも、楽しそうで悩みもなさそう

 

とよく言われますが

 

自立や責任もしっかり引き受けてからの

楽しさだったり、喜びだったりします

 

だからこそ、笑いのある生き方を

もっとも『わたし』が求める生き方を

これからも、選択していく

 

周りが作りあげた舞台に立ち続けるのか

 

自分が作りあげる舞台に立つのか

 

選択は自由

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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