判断基準がわからない

久々のブログです。

すっかり空いてしまいました。

先日、ある方から

『セラピストとかって弱い人の集まりだと思ってる』と。

私は色々な意見があるからその意見にも否定はしません。

ただ私の考え方は違うな~と感じていました。

なので

『弱いからこそ弱い人の気持ちもわかると思ってる』

と発言させていただきました。

そして帰ってきてから、

そのことについてゆっくり考えてみました。

やはり

強い=凄いとか偉い

と判断基準になっているのだなぁと。

それは今までの教育やしつけでそう教わっているものだから

仕方ないと思う反面

それを植え込まれた考えは

弱い人=よくない

なのだなーと、改めて思ったわけです。

なんか、しっくりこない。。。

強いとは?

力があって勇ましいとか?

権力とか支配とか?

戦いに勝ったのが強い?

なんか考えれば考えるほどわからない。笑

私は小さい頃からスポーツも苦手で興味もなく。笑

勝ち負けも良くわからなかった。

スポーツに勝ったら強い?

負けたら弱いなの?

でも、勝った人も負けた人もそこまでのprocessが

あるんだよね?

そこまで、心を込めて打ち込んできたものが。

私、そこはとても尊いものだと思うから

やはりどちらが強いとか弱いとか決められない。笑

そして

私が感じる強さって

母が子どもを想う事だったり

父が家族を守ろうとすることだったり

人々が花や自然が美しいと想う事だったり

心の奥底から沸き上がる想いだったり

どんなに苦しいこと辛いことがあっても

『今』を人間らしく生きてることなんだと思う。

がむしゃらに必死に生きてることなんじゃないかな?

だから

一概に強いとか弱いとか人を判断するのは

私には決められない。

そして

心が弱い事も、悪いことじゃない。

繊細で敏感だからこそ美しいものがある。

見えない世界がそこにはある。

世間で私を弱いと言うのなら弱い人で良いと思ってる。

ただ、その判断が

心が繊細で敏感な人を傷つける言葉でもあるってこと。

そして

そうした判断があるからこそ

セラピーを受けたい人も受けられなくなるってこと

忘れないでほしい。

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綺麗に輝く太陽さん