ディスレクシア

涙がとまらない。笑

やってしまいました。

飛行機の中で読んだ『ぼくの素晴らしい人生』

これ読んで涙が止まらず。笑

前に南雲さん(ディスレクシア講演会をされてる)方から

教えていただいていたディスレクシアの漫画本

愛本みずほさんが描いてます。

 

難しい本とは違ってディスレクシアの特長がわかりやすく

書かれています。

 

漫画の中でも描いてありますが

『何度もあきらめてきた』

『みんなと同じ普通に字を書きたかった』と

こうした内容から息子と照らし合わせてしまい。

 

息子がまだ小学生の頃

ノートに字を収めて書くことができなく

斜めに書いたり、マスから明らかにはみ出たり。

 

そんなこんなで

習字にも通い

 

半紙に墨汁で書くのは割りといけるけれど

カキカタになるとやはりアチコチな字を描く。

 

公文も習ってみた。

 

でも、先生から算数は良いけれど国語は何故かのびない。と

 

字もなかなか上達しない。と

 

なぜなんだろう?

 

でも、私はゆっくりなのかな?と

あまり氣にしていなかった。

 

今思うと、あの時もう少し調べてれば良かったな

と息子にごめんねと言う気持ち。

 

小学生の頃はまだ良かったけれど

中学に入るとなかなか厳しい。

 

数学はかなり高得点

 

けれど国語、社会になると赤点ばかり。

 

あんなに勉強もしてたし

あんなにも努力していたのに

 

私が問題を出したら答えられる。

 

答えは当たってる。

 

なぜなんだろう?

 

ペーパーになると問題が解けなくなる。

 

なぜなんだろう?

 

そして

 

息子は真っ直ぐな性格で

中学の頃、陰湿に先生の見えないところや陰で

石を投げられたり、蹴られたり

 

でも、息子は真っ直ぐな性格で(2回目)

そんな陰湿には負けてなく正面から立ち向かい。笑

先生からすぐさま目をつけられて

 

『反抗的な態度』

『やる気のない子』

『怠けてる』

 

と散々言われ。

 

でも、そうした陰湿な事をした子の事を悪くも言わなかったし

彼は最後までかばっていた。

 

私は『それで良いの?』と聞いたけれど

 

息子は『仕方ないんだよ。先生が面しか見ない人だから、みんなもそうなるんだ』

 

と。。。

 

二人で悔し泣きを沢山してきた。

 

でも

 

やっぱり今回の漫画の内容を見て

 

周りから理解されなくて

 

『悔しい思いをしてきた』

『あきらめてきた』

『本当はもっと学びたかった』

 

と描いてあり

 

世間で理解されることはやはり大切だし

若い人の可能性を潰す権利はないんだよな。と

本来は社会や世間がもっと

人と人の違いに理解して受け入れていく。

 

批判や否定ばかりではなくて

 

理解や肯定。

 

そして一人一人の判断はいらない。

 

みんなそれぞれに平等に生きる権利があるから。

 

人を数字、順位で決めてきた時代はもう必要ないし

頭が良い、悪いで判断も必要ない。

 

それぞれの個性や得意なこと、出来ることを

それぞれがやっていく時代なのではないかな?と。

 

障害あることが『かわいそう』と思っていること自体に違和感を感じるし

『いのち』の重みは誰一人変わらない。

 

私は飛行機の中で一人決断をした。

 

こうしたことを伝えていこう。と

 

息子と同じように悔しい思いをしたきた

子どもたち

保護者たち

 

わからないから、なかなか受け入れられない

 

それなら

 

少しでも理解してもらおう。と

 

決意しました。笑

 

まだ、一人熱くなっただけで

何をどうするかなんて決まっていない。

 

けれど

 

一人でも悩んでる人がいるならば

 

伝えていきたい

 

『あなたは何も悪くない』と

 

『可能性は無限だよ』と

 

ただそれだけ。

 

f:id:sorasan-reasan:20190221163707j:plain

ぼくの素晴らしい人生。愛本みずほさんが描いてる漫画本です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ディスレクシア

涙がとまらない。笑

やってしまいました。

飛行機の中で読んだ『ぼくの素晴らしい人生』

これ読んで涙が止まらず。笑

前に南雲さん(ディスレクシア講演会をされてる)方から

教えていただいていたディスレクシアの漫画本

愛本みずほさんが描いてます。

 

難しい本とは違ってディスレクシアの特長がわかりやすく

書かれています。

 

漫画の中でも描いてありますが

『何度もあきらめてきた』

『みんなと同じ普通に字を書きたかった』と

こうした内容から息子と照らし合わせてしまい。

 

息子がまだ小学生の頃

ノートに字を収めて書くことができなく

斜めに書いたり、マスから明らかにはみ出たり。

 

そんなこんなで

習字にも通い

 

半紙に墨汁で書くのは割りといけるけれど

カキカタになるとやはりアチコチな字を描く。

 

公文も習ってみた。

 

でも、先生から算数は良いけれど国語は何故かのびない。と

 

字もなかなか上達しない。と

 

なぜなんだろう?

 

でも、私はゆっくりなのかな?と

あまり氣にしていなかった。

 

今思うと、あの時もう少し調べてれば良かったな

と息子にごめんねと言う気持ち。

 

小学生の頃はまだ良かったけれど

中学に入るとなかなか厳しい。

 

数学はかなり高得点

 

けれど国語、社会になると赤点ばかり。

 

あんなに勉強もしてたし

あんなにも努力していたのに

 

私が問題を出したら答えられる。

 

答えは当たってる。

 

なぜなんだろう?

 

ペーパーになると問題が解けなくなる。

 

なぜなんだろう?

 

そして

 

息子は真っ直ぐな性格で

中学の頃、陰湿に先生の見えないところや陰で

石を投げられたり、蹴られたり

 

でも、息子は真っ直ぐな性格で(2回目)

そんな陰湿には負けてなく正面から立ち向かい。笑

先生からすぐさま目をつけられて

 

『反抗的な態度』

『やる気のない子』

『怠けてる』

 

と散々言われ。

 

でも、そうした陰湿な事をした子の事を悪くも言わなかったし

彼は最後までかばっていた。

 

私は『それで良いの?』と聞いたけれど

 

息子は『仕方ないんだよ。先生が面しか見ない人だから、みんなもそうなるんだ』

 

と。。。

 

二人で悔し泣きを沢山してきた。

 

でも

 

やっぱり今回の漫画の内容を見て

 

周りから理解されなくて

 

『悔しい思いをしてきた』

『あきらめてきた』

『本当はもっと学びたかった』

 

と描いてあり

 

世間で理解されることはやはり大切だし

若い人の可能性を潰す権利はないんだよな。と

本来は社会や世間がもっと

人と人の違いに理解して受け入れていく。

 

批判や否定ばかりではなくて

 

理解や肯定。

 

そして一人一人の判断はいらない。

 

みんなそれぞれに平等に生きる権利があるから。

 

人を数字、順位で決めてきた時代はもう必要ないし

頭が良い、悪いで判断も必要ない。

 

それぞれの個性や得意なこと、出来ることを

それぞれがやっていく時代なのではないかな?と。

 

障害あることが『かわいそう』と思っていること自体に違和感を感じるし

『いのち』の重みは誰一人変わらない。

 

私は飛行機の中で一人決断をした。

 

こうしたことを伝えていこう。と

 

息子と同じように悔しい思いをしたきた

子どもたち

保護者たち

 

わからないから、なかなか受け入れられない

 

それなら

 

少しでも理解してもらおう。と

 

決意しました。笑

 

まだ、一人熱くなっただけで

何をどうするかなんて決まっていない。

 

けれど

 

一人でも悩んでる人がいるならば

 

伝えていきたい

 

『あなたは何も悪くない』と

 

『可能性は無限だよ』と

 

ただそれだけ。

 

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ぼくの素晴らしい人生。愛本みずほさんが描いてる漫画本です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

判断基準がわからない

久々のブログです。

すっかり空いてしまいました。

先日、ある方から

『セラピストとかって弱い人の集まりだと思ってる』と。

私は色々な意見があるからその意見にも否定はしません。

ただ私の考え方は違うな~と感じていました。

なので

『弱いからこそ弱い人の気持ちもわかると思ってる』

と発言させていただきました。

そして帰ってきてから、

そのことについてゆっくり考えてみました。

やはり

強い=凄いとか偉い

と判断基準になっているのだなぁと。

それは今までの教育やしつけでそう教わっているものだから

仕方ないと思う反面

それを植え込まれた考えは

弱い人=よくない

なのだなーと、改めて思ったわけです。

なんか、しっくりこない。。。

強いとは?

力があって勇ましいとか?

権力とか支配とか?

戦いに勝ったのが強い?

なんか考えれば考えるほどわからない。笑

私は小さい頃からスポーツも苦手で興味もなく。笑

勝ち負けも良くわからなかった。

スポーツに勝ったら強い?

負けたら弱いなの?

でも、勝った人も負けた人もそこまでのprocessが

あるんだよね?

そこまで、心を込めて打ち込んできたものが。

私、そこはとても尊いものだと思うから

やはりどちらが強いとか弱いとか決められない。笑

そして

私が感じる強さって

母が子どもを想う事だったり

父が家族を守ろうとすることだったり

人々が花や自然が美しいと想う事だったり

心の奥底から沸き上がる想いだったり

どんなに苦しいこと辛いことがあっても

『今』を人間らしく生きてることなんだと思う。

がむしゃらに必死に生きてることなんじゃないかな?

だから

一概に強いとか弱いとか人を判断するのは

私には決められない。

そして

心が弱い事も、悪いことじゃない。

繊細で敏感だからこそ美しいものがある。

見えない世界がそこにはある。

世間で私を弱いと言うのなら弱い人で良いと思ってる。

ただ、その判断が

心が繊細で敏感な人を傷つける言葉でもあるってこと。

そして

そうした判断があるからこそ

セラピーを受けたい人も受けられなくなるってこと

忘れないでほしい。

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綺麗に輝く太陽さん



 

 

 

 

 

 

虹のかけら

ちょっと仕事の打ち合わせをしたのですが

 

楽しくて、終始笑顔でした。

 

打ち合わせに混ざってくれた方々もとても素敵な方で。

 

ありがたい氣持ちでいっぱいです。

 

そんな中で沢山話をしたのですが

 

『ひとりひとりが笑顔で楽しくいたい』

 

と、みんな同じ氣持ちでした。

 

今はサナギだとしても

 

蝶のように大空を舞い。

 

高く飛ぶ

 

花が美しいのだと

 

空は広いのだと

 

海は青いのだと

 

世界は広いんだと

 

氣づいてほしい。

 

舞飛んでほしい。

 

視野を広げて大空に舞う。

 

みんなと同じじゃないといけない

 

足並みを揃えないといけない

 

目立つことはよくない

 

そんなことはないのだから

 

自分の個をだして

 

美しい世界へ

 

ひとりひとりが主役へ

 

『わたしなんか』

 

『わたしなんて』

 

そんな呪縛はもう必要ない

 

『わたしだから』

 

『わたしだからこそ』

 

というおまじないに変えていこう。

 

みんなが輝くかけらがある。

 

虹のかけら

 

それはみんな平等

 

どう輝くか

 

どう飛ぶか

 

それだけ。

 

ひとりひとりが輝くことへ

 

ひとりひとりが主役になることへ

 

私はそーゆう世界にしたい

 

みんな自分をもっと好きになろう

 

虹のかけら

 

輝かせよう

 

 

 

 

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きらきらヒカル。太陽と洞爺湖



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マルタとマリア

もうすぐクリスマスですね。

 

クリスマスが近づくとキリストの話で

 

マリアの姉妹マルタの話を思い出します。

 

 

 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

ルカによる福音書 一〇章三八―四二節)

 

このお話ですが。。。

 

 

この時にマルタはどんなことを思ってキリストに投げかけたのだろう?

 

と考えてしまいます。

 

きっと

 

『私だってキリストのお話を聞きたいのに』

 

『マリアばかりずるい』

 

『私だけこんなに大変な仕事してるのに』

 

そんなところでしょうか?

 

だけどマルタは

 

『私もキリストの話を聞こう』とはしなかった。

 

そうもしないで

 

『私は正しい。マリアは間違っている。私と同じようにするべき』

 

とマリアに対して《同化》を求めた。

 

『正しい』を『みんなが』共有すべき

 

マルタの考える

 

マルタの世界の正しさや平和を

 

マルタ以外の人に押し付けようとしている

 

★自分たちこそが正しいのだから、間違えている相手を正す

 

相手に同化を強いいること。

 

そう、これは思い込みです。

 

この世界に絶対に正しいことはないのです。

 

★あなたを正してあげる

 

★あなたを救ってあげる

 

これはエゴになってしまいます。

 

私もセラピストとして

 

このことを氣をつけています。

 

救える人もいなければ

 

正してあげる人もいないのです、

 

それは自分自身にしかできないこと。

 

セラピストは寄り添うことなのかな?と

 

あ、話がそれてしまいましたが

 

マルタは決して間違ったことをしていたのでもありません。

 

だから

 

キリストは

 

『マリアが選んだものを取り上げるな』と

 

伝えています。

 

マリアが選んだものとは

 

彼女にとって『良い方』

 

それをマルタが取り上げたり

 

マルタのやり方に同化させたりする必要はないということ。

 

必要なことはただひとつ。

 

目の前にある、自分が選んだやり方で

 

キリストにどう心を尽くすか

 

人それぞれ違うということ。

 

こうするべき

 

こうあるべき

 

と『正しさ』を強要するのは

 

相手世界を

 

相手の道を

 

暗いものへ繋いでしまう。

 

だから

 

ひとりひとり違って良いのだ。

 

これを伝えたかっただけでした。笑

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前髪切りすぎました。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬至が近づいてる。ワクワク

お久しぶりのブログです。

 

バタバタしておりましたが

 

もうすぐ『冬至』ですね。

 

『陰』が極まって『陽』に転じます。

 

そして

 

『一陽来福』とも言われてますね。

 

氣が上昇するので福も舞い降りてくると言われていて

 

私は冬至が早くこないかなー。と

 

じっと待っております。笑

 

今は『陰』を楽しむ時期です。

 

熊のように冬眠中。笑

 

食べて、寝て、食べて、アロマバス、食べて、寝る

 

ヤバイでしょ。笑

 

熊というよりぶたさんになってるかも。笑

 

人間も動物の一部。

 

地球の一部。

 

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知らず知らずのうちに宇宙の大きなエネルギーの影響を

 

受けています。

 

身体の中では『氣』『血』の流れが悪くなり新陳代謝も落ち氣味に。

 

春にエネルギーいっぱい芽吹くための準備ですね。

 

この時期に消耗ししぎると『腎』が消耗してしまいます。

 

『腎』は生命エネルギーの根幹を司る部分。

 

『腎』が損なわれると氣力も元氣もなくなり

 

風邪をひきやすくなります。

 

この時期はゆっくり熊のようにのんびり

 

過ごしたいですね。

 

氣分も落ちやすい時期ですので

 

自分だけ?と思わないで大丈夫です。

 

みんながそうですよ。笑

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ごはんがおいしい。ユカナさんごはん。

 

 

 

 

 

 

 

昔話にあった『愛』の話が面白い。

娘と沢山話をするのですが

 

昨日は『愛』についても語り。笑

 

人間愛

 

夫婦愛

 

親子愛

 

恋愛

 

世界平和愛

 

さまざまな『愛』があります。

 

そんな中で

 

娘と

 

コントロールしたり支配したり、人のせいにしたり

 

そうしたのは

 

なんか、しっくりこないよね。

 

と話になりました。

 

私がいつも思っているのは

 

昔に聞いた

 

おとぎ話?昔話?

 

間、間のお話は忘れてしまってるのですが

 

母と娘?息子?のお話

 

仲が良い親子がいて

 

それを羨ましく?

 

子供が欲しい鬼ババがいたのですが

 

鬼ばババがお母さんに成り済まし

 

子どもを慣れさせて

 

本当のお母さんに信じさせます(姿もお母さんに変わってる)

 

でも、そこに本当のお母さんが現れて

 

子どもは『どっちが自分のお母さん???』となり

 

それぞれか『私がホンモノよ!』と

 

子どもの手をそれぞれ片方ずつ引っ張ります。

 

『こっちへおいで。私がホンモノ』

 

『こっちへおいで。私がホンモノ』

 

とそれぞれが引っ張る

 

子どもは

『痛い、痛いよー!』と泣き出してしまいます。

 

双方が必死に引っ張るので痛い訳です。

 

でも

 

そんな泣き出した子どもを見て

 

ホンモノのお母さんは手を離します。

 

痛がる子どもを見ていられなくなったのです。

 

鬼ババは子どもを抱き

 

『ほうら、私がホンモノのお母さんだよ』と

 

ホンモノのお母さんはシクシク泣いて

 

へばりついている所へ

 

神様?がやってきて

 

鬼ババのニセモノに『お前はニセモノだ』と

 

鬼ババは『こうして手にいれたのだ。あちらは、

 

子どもを愛していないから手を離したのだ』と言い放ちます。

 

もう、わかりますよね?

 

『いやいや、泣いて痛がる我が子を見ていられないのが

 

ホンモノの愛だよ。本当のお母さんはあちらだ!

 

おまえは、ただ自分の欲でコントロールしたり力ずくで

 

手にいれようとしただけだ』

 

と言い放ちます。

 

そんなストーリーだったような?

 

私はこの話が大好きで

 

なぜか、忘れられず。笑

 

『愛』だなぁと。

 

愛はコントロールできないし

 

力ずくでも手に入れられないもの

 

娘とも

 

『相手を信じて委ねるしかないよね』

 

『相手が幸せならそれで良いよね』と

 

それを丸々受け入れて

 

自分のやりたいことをやる

 

今、目の前の事を必死に生きていく

 

相手の幸せを『良かったね!』と

 

思えること

 

それだけだねー。と

 

大人の会話をしてきました。

 

『無償の愛』ってそーゆう事なんだよね。と

 

パートナーシップ

 

いろいろな感情を出させてくる相手

 

人は相手がいないと

 

自分の存在がわからないから

 

ここで感じたいモノ。

 

でも

 

コントロールや支配は

 

別のもの。

 

それを語れる娘は

 

将来楽しみだな。笑

 

こんな感じのストーリー。笑

      ↓

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