マルタとマリア

もうすぐクリスマスですね。

 

クリスマスが近づくとキリストの話で

 

マリアの姉妹マルタの話を思い出します。

 

 

 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

ルカによる福音書 一〇章三八―四二節)

 

このお話ですが。。。

 

 

この時にマルタはどんなことを思ってキリストに投げかけたのだろう?

 

と考えてしまいます。

 

きっと

 

『私だってキリストのお話を聞きたいのに』

 

『マリアばかりずるい』

 

『私だけこんなに大変な仕事してるのに』

 

そんなところでしょうか?

 

だけどマルタは

 

『私もキリストの話を聞こう』とはしなかった。

 

そうもしないで

 

『私は正しい。マリアは間違っている。私と同じようにするべき』

 

とマリアに対して《同化》を求めた。

 

『正しい』を『みんなが』共有すべき

 

マルタの考える

 

マルタの世界の正しさや平和を

 

マルタ以外の人に押し付けようとしている

 

★自分たちこそが正しいのだから、間違えている相手を正す

 

相手に同化を強いいること。

 

そう、これは思い込みです。

 

この世界に絶対に正しいことはないのです。

 

★あなたを正してあげる

 

★あなたを救ってあげる

 

これはエゴになってしまいます。

 

私もセラピストとして

 

このことを氣をつけています。

 

救える人もいなければ

 

正してあげる人もいないのです、

 

それは自分自身にしかできないこと。

 

セラピストは寄り添うことなのかな?と

 

あ、話がそれてしまいましたが

 

マルタは決して間違ったことをしていたのでもありません。

 

だから

 

キリストは

 

『マリアが選んだものを取り上げるな』と

 

伝えています。

 

マリアが選んだものとは

 

彼女にとって『良い方』

 

それをマルタが取り上げたり

 

マルタのやり方に同化させたりする必要はないということ。

 

必要なことはただひとつ。

 

目の前にある、自分が選んだやり方で

 

キリストにどう心を尽くすか

 

人それぞれ違うということ。

 

こうするべき

 

こうあるべき

 

と『正しさ』を強要するのは

 

相手世界を

 

相手の道を

 

暗いものへ繋いでしまう。

 

だから

 

ひとりひとり違って良いのだ。

 

これを伝えたかっただけでした。笑

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前髪切りすぎました。笑